危機を乗り越え、自分らしさを開花させる、気づきのプラクティス
ヨガ講師・著者・香港大学修士課程「仏教カウンセリング」客員講師のジャネット・ラウによるマインドフルネスメディテーションと講話がオンライン開催されました。
トークの内容をかいつまんでご紹介します。

ステイホームを続けていると気を紛らわす機会が減るので、どうしてもマインドの傾向があぶり出されます。家族と過ごす場合は、家族がぶつかり合うこともしばしばです。
ジャネット先生の場合
日常的なマインドの傾向
・人にどう思われるか、他人に迷惑を掛けるのではないかと案じるばかり無理をしがち。自分自身を犠牲にしがちである
環境
・夫と2歳児の3人暮らし
・夫はコロナの影響で2月からほぼ休業中
・夫は家事・育児に対して積極的に手伝うタイプ
ストーリー
旧正月を利用して家族旅行に。10日間のニュージーランド滞在のはずが、帰国寸前に香港の状況が一変。2歳児を連れての渡航に対して安全性を懸念する夫の意見を尊重して滞在を延期する事に。結果的に7週間、約50日間を家族だけで過ごすことになりました。
もともと家庭的なタイプではないので、部屋でじっとしていることは苦手です。家事や育児、料理にも自信がありません。自分がやっても喜んでもらえいのではないかと思ってしまいます。夫は、家族だけの時間を楽しもうと努力しています。育児も進んで手伝ってくれますが、それすらも自己批評する内なる声を大きくするばかり。わたしが料理も育児も満足にできないせいかしら。次第に、夫に対して不平不満を漏らすようになりました。
無意識のうちに文句を口にする人になってしまったのです。マインドフルネスティーチャーとして大勢の人を助けてきたはずなのに。自分のことが情けなく感じられます。見兼ねた夫は、ヨガに行ってきたら、マッサージにでも出掛ければ?と言ってくれるものの、なかなか素直に聞き入れることができません。嫌気が刺してきたのでしょう。夫は、私のことを何か嫌なものを見るような目で見るようになり、次第に口を聞いてくれなくなりました。私はどうすべきだったのでしょうか。
2つの選択肢
・やっぱり行ってこようかな、と出かける。→罪悪感と引き換えに充足感を得ることができる。
・そんなのいいよ、あなたはひとりで大変でしょう?と育児に専念する。→自己犠牲と引き換えに自分を大切にできない自分に対する罪悪感に苛まれる。
鬱々としたまま5週間が経過したのちに、エクササイズをしたりヨガをするなどして、育児以外のひとり時間を取り戻すことにしました。「自分を大切にできるわたし」を選びました。すると、夫もわたしの存在を尊重してくれるようになりました。夫婦間に少しずつ日常の平穏な会話が生まれるようになりました。

迷ったときは...
その行いがもたらす結果だけでなく、動機を丁寧に検証すること。 そこに肯定的な感情が認められる方を選んでいくと、負のサイクルから脱却できます。
自分自身がネガティブな感情(ここでは罪悪感)を持たず、さらに相手からも承認してもらえるような解決法はまず存在しないことを知りましょう。
わたしは自分勝手なのでしょうか?
身体をケアする、心をケアする。自分を大切にするために行う行為に対して、あなたのことを「わがまま」だと思う人がいたとしても良いのです。それは「その人」の感情、印象であり、あなたのものではありません。どれほどあなたを傷つける内容だったとしても、です。なぜなら、あなたがそれについて覚えていたり、いつまでだっても気にしていることは、「その人」の意見を「あなた」のものとして取り入れ続けることだからです。
「その人」を許そうとするのではなく、そういう風に考えてしまっていた「あなた」に慈しみを向けます。許します。肯定的な感情を伴う行動、人としての成長につながる成長を選ぶ勇気を持ちましょう。*
コメント* 自分について好ましい意見であるときに、「その人」の意見を「あなた」のものとして喜んで取り入れる傾向はないでしょうか?
負のスパイラルにハマってしまったときは
1 ) 感情の悪循環に陥ったときは、まず自分を許すことを選びます。
2 ) 状況を受け入れるために必要なだけ、時間を掛けます。
相手がいる場合:状況を受け入れらるようになったら、自分を好きでいられる反応(言葉選び・トーン)を冷静に選んで対処します。ここでは、相手を喜ばす選択を優先しないのが、長い目で見るとても大切。宇宙で最も大切なのは「自分自身」です。であれば、自己犠牲を払って宇宙の調和をとることはできません。
変化のとき
どんな人間になっていきたいのか。それに近づくためにどのような鍛錬をするか考えてみましょう。もし、自分が苦しんでいる場合は、その苦しみと一生を共にしたいのかどうか自問してください。
たとえば、頭で受け入れるべきだと分かっていても感情が伴わないこともあります。いまは変化を受け入れることはできないけれど、徐々に受け入れていきたいと希望を持つことはできるでしょうか。希望があれば、心の姿勢、態度を変えていくことができます。
例:慈悲深い人になりたいと願っていたら、自分自身に対して慈悲深くあることを「たまに」ではなく常日頃から「どんなときも」実践し続けようと努力します。例外なく「どんな状況下でも」です。
日常生活で実践できないときがあっても、大丈夫です。「許し」を自分自身に向けます。意識を自分自身に集中します。失敗した、今までの努力が水の泡になった、などを考える必要はありません。意識を向け直して